旅は見返りを求めるもの。幸せも不幸も助長する情報とは…

大学生だった頃、全てのしがらみから逃れて、遠くへ行きたい!

と、思って旅に出た事があります。

その頃はようやく旅とは見返りを求めるものなのだと自分なりに結論が出た時期だったと思います。

誰も僕の事を知らない場所、今までの全てを投げ打って、新しい人生を…と、

当時の僕は大分大胆な思考に没っしていたと思います。

その時の旅は伊豆諸島を一週間くらい点々とする、というものでした。

随所で車や自転車を借りて、見たことの無い景色、人の少なさに感動してました。

島独特の環境にいつかは島暮らしも悪くないなって本気で思いました。

そうやってリフレッシュして一週間が過ぎようとした頃…

水平線に沈む太陽を眺めながら泣きました。

圧倒的な孤独、何も入ってこない情報。寂しさが出てきて、とりあえず埼玉に帰りたいと。

誰か同じ旅途中の人を見つけて共に行動して孤独を紛らわせればまた心境は変わってたんでしょうけど…

普段、自分を癒しもするし、散々傷付けられる情報が恋しくなったんです。

そうやって二つの方向性の違う思惑をお土産にしてその旅は終わりました。

今では日々の情報の多さがかえって生活を複雑に、更には不幸にする危険性を感じてます。

生きる事に対して最低限の情報のみが入ってくればいい。

その分、目先の自然やら人付き合いに夢中になった方が絶対楽だし、幸せを感じやすいなって。

でも今の環境じゃそれも難しいです。

あらゆる情報を欲するというのは麻薬のような中毒性に基づくものだと思いますし…

そこに知的探求という根源的な本能も拍車をかけますし…

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