無感動になる病は処方箋なのかーい?

マンションから近くの市民公共施設では週末に色々と催し物が開催される

演奏家や劇団の有料公演や、地元の学生やサークルの演奏会など…

時々、縁もゆかりも無い団体のそういった無料一般公開の発表会に足を運ぶダッシュ(走り出すさま)

一番後ろの席で深く腰を下ろし、壇上の主役一同を眺めるぴかぴか(新しい)

演奏なり演技なりが披露され、特別な感情を抱くこともなく、事の成り行きを見守るー(長音記号1)

一連の流れをとらえ続けると、瞼が重くなってきて途中でウトウト意識が混濁してくるー(長音記号1)

それでも漠然と遠いまなざしを向ける目

僕にとって何ら関係性を持たない地球の裏側の出来事のように無関心に

壇上の表現者に失礼な態度と見受けられてしまう可能性があるけれども

これはこれで一つの観賞スタイルではないかと思うかわいい

疲れていると事柄に関して真摯に向き合うより、軽く接する程度が気楽でリラックスできるもんだいい気分(温泉)

そういう事なんだと思うひらめき

以前の僕は、そういった催し物の一つ一つに何かを見出し、情に触れる何かを誘発されていたダッシュ(走り出すさま)

受け身ではなく自発的に刺激を吸収しようという姿勢だったどんっ(衝撃)

歳を取るにつれてか?慣れなのか?

得られる感動、刺激、達成感は以前に比べてひどく薄れてしまったと思うたらーっ(汗)

壇上の表現者の技術ではなく、受け取り側ぼくの感受性の欠乏あせあせ(飛び散る汗)

ふむ…

ありのまま楽しむ方法ってどうやんだっけ?

そもそも無料で定期的にこういった公演がある…

という状況が、貴重性というものを希釈させてしまっているのか。

それが原因で無意識に僕の感受性をだらけさせるのか。

あー!疲れたー!!

来月頭は大勢の人たちの前で司会進行をやらなくちゃいけないし、

勉強という名目の休日出勤が何日も控えてるし、

あー!!疲れたー!!

ばかやろー!!!!

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